アファンタジアと方向感覚

アファンタジアの特徴の中で、日常生活に最も影響するのは、いわゆる『方向音痴』の傾向ではないでしょうか。私は、自他共に認める方向音痴です。以前に『方向音痴は治る!』みたいな本を読んで克服を試みたこともありましたが、効果が無く諦めました。もちろんその本にアファンタジア目線のことは書いていなかったと思われます。

教室に たどりつけない 新学期

やはり小学生の頃からしっかりアファンタジアだったようで、毎年4月、新学期が始まって教室が変わると、校内で迷子になっていた記憶があります。
私が通っていた小学校は1学年6クラスある比較的大きな学校で、教室の数も多かったとはいえ、毎年最初の数週間は自力でたどり着けませんでした。普段はクラスメイトと一緒に登校するので問題ないのですが、病院に行ってから遅れて登校した時などはきっちり迷子になっていました。それがちょうど音楽の時間で、音楽室に1人で行かないといけないとなるともう絶望的です。校舎は3階建てで中庭があって3棟か4棟に分かれていて渡り廊下でつながっていて・・・、やっぱり私はアファンタジアなのでその形状を思い出せないし、上手く説明ができません。これが40年近く前の昔のことだから思い出せないのか、アファンタジアだから思い出せないのか、あるいはその両方なのか、よくわかりません。

たどり着く いつかかならず あの場所に

ただ自分の場合、その迷子と自らの方向音痴っぷりを楽しんでいたフシがあります。「さて、今回はどこに迷い込むのかな?」という具合に、開き直っていました。
大体の場合、「ここを右に曲がる、いや、前回ここを間違えて右に曲がったから道に迷ったはず、だから左に曲がろう」、曲がってみると「ん?なんか違う気がする。いや、以前の間違えたときの記憶とごちゃまぜになっているだけだ、とりあえず進んでみよう」、その先に進んで「うん。ぜったい違う。けどこの先で右に曲がればあそこにつながってああやってこう行けるはず。」、そして右に曲がって「・・・どこだここ?」となるのです。

それでも、いままでの人生で、目的地にたどり着けなかったことは一度もありません。時間はかかっても必ずたどり着くことができています。親切な人に道を教えてもらったり、歩き回っている間に偶然たどり着いていたり、今だったらスマートフォンに案内してもらったりして。

今でも、三者面談などで子供の学校の教室に行くときには、妻のうしろを歩きます。面談が終わって教室を出て帰る際、私が前を歩いて案の定、降りるべき階段を通り過ぎます。妻は笑って手を引いてくれます。

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