アファンタジアと結婚生活

私の家庭は妻と3人の娘の、5人家族で、現在のところ円満に暮らしております。上の2人は妻の連れ子ですでに成人しており、末の娘は小学6年生思春期真っ盛りではありますが、大きなトラブルもなく円満に暮らしております。今日も妻と2人でランチに出かけて、その夕方にこの記事を書いています。

我が娘の成長の記憶

自分がアファンタジアであると認識する以前、アルバムなどで娘たちの幼い頃の写真を見るたびにいつも、「こんなんやったっけ?この小さい頃の感じ全然思い出されへんわ。」と言っていました。これが自分がアファンタジアである証拠のひとつなのでしょう。
目を閉じて思い出せる(私の場合、一瞬だけ通り過ぎる)娘の顔のイメージは常に現在の年齢の娘の顔で、過去の娘の姿形がイメージできないのです。常に最新の状態に更新されて上書き保存されているような感覚です。写真をみるとそれが自分の娘の幼少期の姿であることはわかるのですが、そこから現在の姿までつながらないのです。妻に訊くと、ちゃんと2年前の顔、保育園の頃の顔、赤ん坊の頃の顔と遡ってイメージできるそうです。

妻との思い出

妻と私は同い年で、出会ったのは2002年、サッカー日韓ワールドカップが開催されていた時です。それからおよそ18年間、思い出の中の妻は常に、現在の妻の姿です。ドラマの中などにある「こいつもさすがに老けたなぁ・・」などという感想を持ったことがただの一度もありません。これもアファンタジアであることを認識してから気付いたことです。若い頃の写真を見て「若ッ!細ッ!」と思うことはあっても、現在の姿を見て「年取ったなぁ、ちょっと太ったかなぁ」と思うことはないのです。これまでがそうだったということは、これからもきっとそうなのでしょう。

結婚するならアファンタジアと!

加齢による容姿の変化に影響されることなく、内面とエピソードだけが思い出として残されていくのです。よく耳にする、「飽きる」ということもないのでしょう。常に上書きされて新鮮なのかもしれません。

このように、結婚相手としてのアファンタジアは、非常に都合が良いものだとは思いませんか?容姿の衰えにとらわれず、人格の成長を見つめてもらえるのです。長く結婚生活を続けるにあたって、恵まれた才覚であると言ってもいいのではないでしょうか。
残念ながら私の妻はアファンタジアではないので、私は運動をして節制をしてアンチエイジングと育毛に励んで必死に嫌われぬよう努力しております。これがもしもアファンタジア同士のカップルであれば、もう永遠の愛が約束されたも同然です!

「アファンタジアは結婚生活にも最適化された種族である」というのが、今回の私の主張でございます。

注釈

例によって「サンプル数:1」です。

私が最高の妻と家族に恵まれただけ、という可能性も否めません。

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