アファンタジアってなんだろう?

アファンタジア(Aphantasia)とは心的イメージを思い浮かべることができず、頭の中でイメージを視覚化することのできない状態を指す言葉である。

アファンタジア – Wikipedia
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「目を閉じて大きな虎のイメージを浮かべて、ただ観察する」

どうでしょう?あなたの頭の中の虎は、歩きだしたり唸り声をあげたりするのでしょうか?近づいてなでてみたくなったり?そこをぐっと堪えて、ただ観察するのです。そうすることで、精神のトレーニングになるそうです。
鈴木裕さんの『最高の体調』という本で紹介されていた「タイガータスク」と呼ばれる自己観察の手法です。

目を閉じた私の頭の中には、そもそも虎の姿がありませんでした。最初の一瞬だけ、オレンジと黒の縞模様が浮かび、虎の瞳のイメージが通り過ぎ、消えました。あとに残っているのは暗闇です。そのまま虎の姿を思い浮かべようと数分間試みるも、どうにも映像が浮かびません。本を読み返しても「イメージできない場合は…」などの解説はありません。もう一度目を閉じてみると、また同じように縞模様が一瞬浮かび、消えました。

イメージを頭の中で映像化できない

その日の夕食時、家族に「タイガータスク」をやってもらうと、皆がはっきりと見えてしました。「前足を揃えて座ってこっちを向いている」「クリっと巻いたしっぽを振っている」「黄色と黒のシマシマで横向きに」など。私から虎の様子を質問すると、目を閉じたまま即答で答えが返ってきました。

どういうことだろう?どうも自分以外の人は簡単に虎の姿を観察できるらしい・・・。そこで初めて、googleで『脳内 イメージ 映像化 できない』などと検索してみて、その名前を知りました。

アファンタジア Aphantasia

「心的イメージを思い浮かべることができず、頭の中でイメージを視覚化することのできない状態を指す言葉」、「50人に1人くらいの割合でいるらしい」、「2015年にゼーマン教授らによって名前がつけられた」、「1880年にフランシス・ゴルトンの精神的イメージに関する統計的研究によって初めて記述されているが、その後100年以上誰も研究せず放置」、「ピクサーの元社長がアファンタジアで、その周囲で複数人の存在が確認されているらしい」、「海外の論文や書籍があるようだが英語がダメな自分には読めない」、「国会図書館に日本の学者さんの調査論文があるようだが、新型コロナ禍の2020年5月現在、行けない」・・・。
早い話が、情報が少なく、まだよくわからないのです。50人に1人というのはどういう調査によるもので、正しい数字なのでしょうか?人種や性別による違いは?この「状態」であることのメリット・デメリットは?この「状態」にある人々の間に個人差はあるのか?少なくとも英語の読めない日本人である私には、はっきりしたことは何もわかっていません。

私の「状態」

情報が少なく、はっきりしたことがわからない以上、自分で考えるしかありません。逆に、ネット検索すればほぼすべての物事の正解が瞬時に与えられるこの現代において、こんなことってあるのでしょうか?答えがないので、自分で勝手に推測して考察できるうえに、たとえそれが間違いであったとしても誰も否定できないのです。今はアファンタジアについて考えることが楽しくて仕方がありません。
生まれてから44年目にしてようやく自覚した自分の記憶を遡っていくと、様々な部分でアファンタジアと関連付ければ説明がつきそうな特徴が見つかります。

  • かなりの方向音痴、地図が読めない
  • 絵が下手、歌もたぶん下手
  • 数学は苦手だったが学校の勉強はそこそこできたほうだ
  • 人の顔を覚えるのが苦手
  • 運動能力は問題なく、反応速度は自信アリ
  • 音楽はメロディよりも歌詞を楽しんでいる気がする

たとえば「瞳をとじて 君を描」けないし、「目を閉じれば億千の星 一番光るお前がい」ません。もちろん億千の星もありません。私の場合は「目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ~」なのです。それを哀しいと思ったこともないのですが。

哀しいことがあるとすれば、頭の中で家族の顔を思い出せないことです。3人いる娘の顔も、出会った頃の若かりし妻の姿も、家族旅行で観た風景も思い出すことができません。
けれども妻や娘のことは大切に想っているし、家族仲は至って円満です。社会生活も仕事も問題なくこなせています。対人関係に大きな悩みを抱えている、ということもありません。きわめて平凡な人並みの人生を、今も昔も普通に過ごせています。

症状?障害?欠落?・・・・否!!

「アファンタジア」とgoogle検索しようとすると、「治療法」や「障害」などの予測候補が続きます。関連記事の中にも、「症状」「欠如」「病院」などのネガティブな言葉が並びます。たしかに、映像化できない、思い出せない、50人に1人、というと、正常な人々よりも劣っている、障害と捉える向きもあるでしょう。
ただ、角度を変えて考えてみましょう。
「映像化できない」ではなく、「映像化しない」のではないのでしょうか。例えば「虎」という情報を頭の中で引き出してくる時、映像ではなく文字、あるいはもっと簡略化された信号か何か、で処理されているのではないでしょうか。データ量の大きさで考えると「画像>>>>>文字」であることはPCも人間の脳も、きっと、同じでしょう。脳の限られたリソースの中で「虎」が占める割合が、アファンタジアの場合、極めて小さく済んでいるのではないでしょうか。それでも実際に虎の写真を見ればすぐに虎だと認識できるし、仮に森の中で虎に出くわしたとしても、すぐにそれを虎だと認識して身を隠すなり火を見せて怯ませるなりの対応ができることでしょう。(助かるかどうかは別として)

現代を生きる為に最適化されたシステム

あらためて断わるまでもないとは思いますが、私は研究者でも心理学者でも進化人類学者でもなく、ただのおっさんです。少し前に「サピエンス全史」を読んで、つい最近アファンタジアという言葉を知って興奮しているただのおっさんです。

原始時代の狩猟採集民であれば、例えば食べられるキノコと毒キノコを見分ける為に、映像で記憶して判別する必要があったことでしょう。その情報を仲間や子孫に伝えるためにも映像の記憶を口伝する必要があったはずです。アファンタジアである私にはきっとそれができませんが、現代に生きる私は写真に撮って見せるだけで済みます。
農耕栽培するようになったとして、アファンタジアである私は、毎年適正に実り具合を見極めて収穫することができたのでしょうか?山を2つ超えて領主に年貢を納めに向かうとして、無事に元の村に帰ることができたでしょうか?道路も標識も整備されておらず、地図もないのです。私には帰れる気がしません。江戸時代であっても「この紋所が目に入らぬか!」と言われたところでたぶんわからないし、遠山の金さんの桜吹雪も、見忘れたとしか言いようがないのです。

しかし今!たとえば私達の手にはスマートフォンがあります。このデバイスには私達アファンタジアの生活に不便な要素の大部分をフォローする機能が備わっています。画像検索をかければ植物の種類はかなりの確率で判別することができるでしょう。グーグルマップで地図はいつでも確認できるし、GPSで自分の位置を教えてくれて道案内までしてくれます。
『頭の中でイメージを視覚化できない』、『脳内で映像の記憶を再現できない』ということがアファンタジアの『欠点』だったとしても、手元の端末のディスプレイを見るだけで、おおよそ補えることでしょう。「印籠 ヤバい」とググれば、その家紋の印籠がちゃんと表示されるので、見比べて確認してから、しっかりと頭を下げることもできるでしょう。

アファンタジアの可能性

この度、ブログを開設してみようと思い立った要因は複数あるのですが、一番の動機はアファンタジアという「名前」をより多くの人に、より早い時期に知ってもらいたいということです。少なくとも自分は、もっと早く、できれば幼少期に、知りたかった。今、中年になってから知ったことによってでも、随分と生きやすくなったように感じています。もしも学生時代に知っていれば、学習の仕方も違っていたと思うのです。

私の場合、高校時代に不思議な感覚があったことを覚えています。そこそこの進学校に行かせてもらったものの、恥ずかしながら不真面目な生徒でしたので授業にもあまり出席しない落ちこぼれでした。ただ、歴史の科目の定期テストに関しては、「一問一答集」の試験範囲内を試験前日に2周するだけで、ほぼ満点が取れていました。なので中間テストで世界史は学年1位、日本史は赤点。期末テストは世界史は赤点で日本史が学年上位、ということがありました。両方1位と言ったほうがインパクトがあるのでしょうが、そこは正直に。
この時は「ひとつの問いに対しての、ひとつの答えを覚える」という勉強方法で、試験の際には「答えを呼び出す」ことが容易にできていたように思います。(今、ここまで書いてみて思うのは、やはりこのあたりの感覚の説明は難しいですね・・・)

そう、言いたいことは、アファンタジアがそれを自覚してアファンタジアに適した学習、訓練をすれば、常人とは違う能力を習得、発揮できるのではないかということです!
残念ながら私はアファンタジアという名前が無い時代に育ったし、そもそもアホだったのでせっかく授かったその能力を充分に活かすことなく年齢を重ねてしまいました。そんな私が今思うことは、『アファンタジア』として成長していける可能性を持ったこれからの子どもたち、若者たちの成長の助けになれればと。あるいは、営業先の担当者の顔がなぜか覚えられなくて悩んでいるビジネスパーソンに、あなたの努力が足りないのでも無能なのでもないことを知って貰えれば、ということなのです。できないことを不必要に悩んで苦しむなど、愚かなことです。トラには翼がないので空を飛べないけれども、力強い脚が、爪が、牙があるではないですか。翼が無いことを憂う必要などないのです。私達がすべきことは長所を伸ばすことで、短所は笑いとばせばよいのです。幸い、アファンタジアの短所とおぼしきところは面白可笑しいことが多いようですし。

まとめ と 今後の方針


私は、自分がアファンタジアという種族の中の1人なのだと考えています。私の娘にはアファンタジアは遺伝していないようです。母と兄もアファンタジアではなく、父は高齢で頑固なので判別が難しいのですが、若い頃から麻雀が好きで頭の中で捨て牌をイメージで記憶していたようなのでおそらく、違います。だったら私は突然変異なのか?あるいは後天的なものなのか?だったら「種」というのは違うのか?あるいは隔世遺伝の場合もあるのか?
疑問は尽きません。とうぶん、もしかすると最期まで、答えが見つからないのかもしれません。このググればすぐに答えがでてくる時代に、『自分の存在が謎』だなんて、ワクワクするじゃあないですか!

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このブログを、アファンタジアに関する情報を集める場にしていければと思っています。新しい研究などが出れば紹介していきますが、
まずは私の記憶から、アファンタジアに関連がありそうな事柄を書き留めていき、皆様の、アファンタジア仲間の情報が集まる場になることを目指していきたいと思っています。

では、よろしくお願いいたします!

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