アファンタジアと『半沢直樹』と『オレたちバブル入行組』

「アファンタジアは映像をイメージできないので、小説を楽しむことができない」という意見をネットで目にしたことがあります。私は子供の頃から、読書は好きなほうでした。アファンタジアが読書に向かないというのは、はたして本当なのでしょうか?

半沢直樹と堺雅人

現在、ドラマ『半沢直樹』の第二部が放送中で、私も楽しく観ております。前作もリアルタイムで観ており、先日、原作である『オレたちバブル入行組』がKindle Unlimitedに追加されていたので、読んでみました。最近はビジネス書ばかりであまり小説を読まなくなっていたので、自分がアファンタジアであることを認識してからは初めて読む小説です。

結論から言うと、楽しく読めます。ただ、大きな違和感がありました。
小説を読んでいる自分の頭の中の半沢直樹の容姿、声、動作は、堺雅人さんのそれではないのです。先にドラマの映像を観てから原作を読んでいるわけなので、逆に堺雅人さんのイメージでしか読めなくなってもよさそうなものなのに、です。

じゃあ、誰だ?

他の登場人物は、小説とドラマで明らかに人物描写が違っているものが多かったので(上戸彩とかミッチーとか)、まったく別人のイメージで読んでいるのも納得がいくのです。しかし半沢直樹のキャラクター設定に関しては大差がなかったはず。なのに、堺雅人さんに近い背格好の、堺雅人さんではない誰か、のイメージで楽しく最後まで読み終えてしまいました。

そもそも、アファンタジアである私の「イメージ」ってなんだ?って話でもあるのですが、私にもイメージはあるのです。たとえば「いつやるの?今でしょ」というセリフを思い出すと林修先生の姿が思い浮かぶし、「じぇじぇじぇ」と言えば能年玲奈さんの姿が浮かびます。「やられたらやり返す、倍返しだ!」と言えば・・・、この場合、ばっちり堺雅人さんが浮かびます。しかし原作で「基本は性善説。だが、やられたらやり返す。倍返しだ。」という文章を読んでいるときにイメージしたのは、堺雅人さんとは似て非なる誰か、なのです。

つまり、どういうことだ?

そういえば昔『羊たちの沈黙』を読んだ時もレクター博士はアンソニー・ホプキンスではなかったし、クラリスもジョディ・フォスターではなかったように思います。けれど、このトマス・ハリスのレクター博士シリーズは面白くて、全て読んでいます。凄まじい文章力で、残酷な描写の数々は私の中にしっかりとトラウマ的に刻みつけられています。私はアファンタジアであるはずなのに。

つまりは、アファンタジアだから読書を楽しめないということはない、のです。少なくとも私の場合は充分に物語の世界にのめり込むことができます。ただ今回思ったことは、読書の際にはあまりアファンタジアであることを意識しないほうがいいのかもしれません。ちょっと気がそれてしまいますね。

今回の、半沢直樹と堺雅人のイメージが一致しないという話がアファンタジアと関係があるのかはわかりませんが、少し興味深い気づきだったので書いてみました。
皆様方はいかがでしょうか?

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