アファンタジアと美術の授業

芸術作品
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生まれてから44年目にして、自分がアファンタジアという珍しい種類の人間であることを、私は認識しました。その上で自分の半生を振り返ってみると、アファンタジアと関連付けられるエピソードがいくつも思い返されます。その当時に不思議に感じていたことや納得いかなかったことが、一気に説明がついて合点がいくようになっていきます。今はその作業が楽しくて仕方がありません。 

「頭の中に浮かんだ空想の絵を描きましょう」

中学校の美術の授業で、「頭の中に浮かんだ空想を絵に描く」という課題がありました。ポスターカラーを使って、1学期間丸々使って仕上げる課題だったように思います。他の生徒たちが例えばペガサスの絵や近未来世界の風景を描いてカラフルに仕上げていく中、私が描いたのはこんな絵でした。

私の心の中?

アファンタジアが30年以上前の記憶を基に再現した絵なので正確ではないと思いますが、おおよそこのような絵だったはずです。モノクロで、何が何やら理解不能です。
この絵を描いていた時のいくつかの記憶は何故かずっと印象的に残っています。
美術の授業は嫌いではなかったので、「さぁ、空想の絵を描こう!」とはりきって鉛筆を持って下書きを始めようとしたものの、何も思い浮かびません。目を閉じて何かを思い描こうとしてもなんにも思いつきません。他の生徒たちがどんどん下書きを描いていく中、自分はまったく描き始めることができませんでした。
仕方がないので、とりあえず紙に1本、線を書いてみました。一番下の横棒です。そうすると、じゃあここに縦線を置こう、ここにこれを足そう、ここをこの形で埋めようという具合に、すぐにこの形が出来上がりました。
つまりは、まったく頭の中で想像して描けず、すべて紙の上で考えて描いていたのでした。

できないことをできないと知ること

当時の自分はアファンタジアなんて概念を知るよしもなかったので、こんな簡単な絵で済ませてズルをしているような、後ろめたさを感じていた記憶があります。
その制作中に、男性の美術の先生が私の机の横で足を止め、困惑した表情で僕の絵を見ていた記憶があります(『困惑した表情』を思い出せるのではなく、『困惑した表情をしているように見えた記憶』があるのです。面倒くさいですネ!)。ジーっと見て、ちょっと見せてと私の絵を手にとって、しばらく考え込んでいました。私は、「手を抜かずにちゃんと描きなさい」とか「こんなのは絵じゃないからダメです」と言われて描きなおさせられるんじゃないかと、内心ヒヤヒヤしていました。
ところが先生は、「・・・うん。すごくイイですね。このままできるだけキレイに仕上げてみて。」と言ってくれたのでした。きっと、すごくイイ先生だったのだと思います。おそらく美術の先生も、頭の中でイメージを映像化できない生徒がいることなど考えもしなかったのではないでしょうか。いや、アファンタジアは50人に1人くらいの割合で存在するといわれています。もしかすると「ときどき、2クラスに1人くらい『空想』の意味を理解していない奴がいるな、なんだあいつらは?」くらいには思っていたのかもしれません。とにかく、この時の美術の先生は、生徒の精一杯の作品を否定することなく認めてくれる素晴らしい先生だったのだと思います。残念ながら私はアファンタジアなので先生の顔も名前も思い出せず、背の高い、メガネをかけてヒゲの濃い、良い先生だったとしか思い出せませんが、大変感謝しております。

そして、もしも当時の私が自分がアファンタジアであることを認識していたならば、先生に「僕はアファンタジアなんで、課題の絵は書けないかもしれません。でもできるだけ何か描いて提出します。」と言えたことでしょう。うしろめたさや劣等感を抱えることなく。
だからこそ、学者さんたちが研究して「アファンタジア」という名前をつけてくれた今、できるだけ多くの人、まだ自覚していないアファンタジアの人やアファンタジアでない人たちにも、この名前を早く知ってもらいたいと願うのです。

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